じじのつぶやき

  • img_nishikawa
  • 新しい生命の誕生は、新しい親を生み出します。 親と子の生きる力と生かす力が発揮できる環境を創り出す。それこそが保育園の役割と考えています。

「つぶやきが終わるとき」

 

426日の朝、今日こそ5月号の「つぶやき」の原稿をまとめようと思いながら玄関を出たのですが、階段を踏み損ない右足の大腿骨を骨折してしまいました。2ヶ月の入院治療、そしてリハビリテーションを受ける身となりました。万一に備え、3年前、80歳を機に園長職は交代していましたので、園の運営には特別何の支障もなく、平常の通りに進められていました。ところが、新園長を助ける意味で、引き続き園だよりの「つぶやき」を「じじのつぶやき」に看板を変え、書かせていただいていましたが、こちらはつぶやかずに3ヶ月穴を開けてしまいました。

 

 「じじのつぶやき」に変わったころから、加齢による能力低下でしょうか、原稿を書こうとすると筆が重くなっていました。

 

 さかのぼってみると「つぶやき」は、平成187月から始まっていました。「早寝、早起きキャンペーン」と、「教育熱心が子どもをダメにする」話がテーマでした。当時は、まだ生活習慣と人間形成の因果関係の正しい知識や情報が十分ではなかったようです。子育てやわかくさの保育についての情報提供、そして人生の先輩として伝えておきたいことなどを徒然なるままにつぶやいてきました。

 

 10年前より情報伝達機器は発達普及して、最新の情報がいつでもどこでも手軽に安価に得られるようになりました。

 

 私の頭に浮かんでくることは、どれも時代遅れで現代的な魅力に乏しいもののように感じるようになってしまいました。そして、人生の最終段階に入った私の役目は、子育てや保育に囚われない課題に視点を変えるか、納得できることが書けないのなら、もう書かないか。ということで、もう無理して書こうとしないことにしました。

 

 いずれにせよ、「つぶやき」の連載はこれで終わりとします。いつの日かつぶやくことがあるかもしれません。その時はまた、よろしくご一読をお願いします。

 

 中途半端な思いを残して筆をおくことをお詫びするとともに、長い間のご愛読に感謝いたします。

「自然の恵み」

 変化に富む四季の移り変わりは、この国に暮らす者にとっては、大自然からの大きな恩恵といえると思います。あなたはどの季節が好きでしょうか。

 

 私は寒さが和らぎ、草木が芽吹く春が好きでした。寒がりだったからかもしれません。この頃は温暖化のせいでしょうか、空調が整備されたからでしょうか、冬でも辛いほどの寒さを感じる日も少なくなり、春の訪れはそれほど待ち遠しくはなくなりました。どの季節にも良さがあり、楽しみ方があることを学んだからかもしれません。

 

 ほとんどの人に好まれる、連休もある快適な5月はいつの間にか過ぎ去り、もう6月になりました。園の最大行事である「青空お楽しみ会」が天気に恵まれることを祈っています。

 

 今月の21日は太陽が一番近づく夏至になります。既に一年中で一番昼が長く、その分夜の短い時期になっています。最も日差しが強く紫外線の強い時期です。ちょうどこの頃が雨期になるのも、日除けとしては好都合なことともいえるのです。

 

 この時期、赤ちゃんは暑がりであることをしっかり認識し、十分に気を遣ってください。空調は絶対に効き過ぎのないようにしましょう。薄着で軽く汗ばむくらいがちょうど良いでしょう。

 

 これからの時期に、もう一つ気を付けなければならないのが食中毒です。傷みやすく、すぐにカビが生えたりしますので、食材をまめにチェックをしてください。

 

 親の愛により、生理的な必要が満たされ、精神的な安心が守られていれば、乳幼児期の子どもは遊びながら自分の力で育ちます。その能力を、生まれながらにして持っているのです。

 

 親の愛は「かわいいと思う心」です。改めて考えるまでもなく、子どもを授かったということは大自然からの最大の恵みです。「かわいさ」が親心(母性愛)を起動します。点火された愛の炎のぬくもりが、乳児期の子に大切な「安心」となります。愛の炎に揺らぎや波があると、子どもは不安を感じます。

 

 これからも保護者の皆さんとともに心を合わせて、揺るがぬ炎で子どもを見守っていきましょう。

 

「新年度に思う」

 

例年より泣き声の少ないスタートのような感じでした。ここはもう一つの自分の家として、子どもたちは認めてくれたのでしょうか。それぞれのお子さんが備えている望ましい可能性を、十分に発揮してもらうための手助けとなる保育ができればと願っております。

 

 保育の仕事は、かけがえのない生命をお預かりするというミスの許されない仕事です。しかし、不完全な人間のすることですから、現実としては怪我をさせたり、配慮の足りない対応があったりします。この現実は、取り返しのつかない事故につながる可能性もあります。そのため私たち保育従事者は、その重大な責任感と緊張感を緩めないように常に心がけています。とはいえ、安全第一主義の畏縮した保育では、たくましく生きる力が育ちにくくなります。謙虚に点検し、改善しながら「事故ゼロ」を目指して進みたいと思います。

 

 一人ひとりのお子さんに最善の保育を保護者とともに築いていこう、というのがわかくさの保育です。言い方をかえれば、園と保護者が協力してオーダーメイドの子育てをしようというものです。園での活動は、子ども自身が自主的に選択できる保育です。自主的に選べるとはいえ、吟味して用意されている豊富な選択肢は、そのお子さんの発達を促し、高めるために最善のものが備えられている環境として、保育士により工夫されているのです。

 

 これらの努力の成果を客観的な数値で測る手段があると良いのですが、残念ながらありません。そのため、主観的な自己満足ではない、成果の裏付けとなる情報は嬉しいものです。そしてそれは大きな励みとなります。

 

 3月31日の夕方、3人のお子さんを15年にわたりお預け下さったYさんから、明日からの保育園に通わない生活が考えられませんとの挨拶とともに、心のこもった感謝の気持ちを綴った手紙をいただきました。努力の成果は確かにあったよ、という認定状をいただいた気持ちです。 保護者は協働者でもあるので客観的な第三者とはいえませんが、長い間裏も表もしっかり見て来た人からの評価は意義深いものです。

 

 もう一つ、嬉しい励ましのお手紙が卒園児のゆかちゃんから届きました。「りじちょうせんせいはできるところまでやってください」、この手紙は全く自主的なものだそうです。子どもから宝物をもらった気持ちです。大きな励みになります。これからも、このような賞状をいただける保育を求め続けたいと思います。

 

 

「最善の保育」

また、年度の変わり目を迎える多忙な時期になりました。わかくさ保育園の経営主体である社会福祉法人みきの家の組織も、社会福祉法が改正されるため、定款を改定し、理事会のお目付け役として評議員会を設置しなければならず、その準備に追われています。 子どもにとって最善の育ちの場を提供しようとの、法人の基本理念はいささかも揺らぐことはありません。これからも、良いところはしっかり守り、更なる向上を求めていきますので、保護者の皆様も今まで通り、わかくさの保育の協働者としてのご支援をお願いします。

 

 61期生になる今年の卒園児は30人、第1期からの卒園児総数は2275人になりました。

 

 なお、過日実施した第三者評価の保護者アンケートには、ご協力をいただき感謝します。結果は「福ナビ」に掲示されます。

 

 さて表題の「最善の保育」ですが、これはほんとに難しい課題です。誰もが納得して合意できる「ものさし」がないからです。そのため、定期的に客観的な評価のために、第三者による評価としてアンケートをお願いし、常に注意深く自己点検も怠らないように努めています。

 

 一番大事なことは、お子さんが安心し、満足して子どもらしい活動ができているかということです。この点が満たされているお子さんは、落ち着いて機嫌よく遊びながら、自分の力で最善の成長を果たしているはずです。遊びの内容や質は、年齢や個性により差があっても問題ではありません。自主性と集中度を大切にしています。

 

 保育室が落ち着いていて大人の指示、命令の声が聞こえない部屋は、子どもの満足度が高いと考えています。

 

 子どもが自主的に環境と関わり、「おしごと」(遊び)を選んでいますから、大人の指示は要らないのです。大人はその「おしごと」を適正に準備し、子どもが取り組んでいるかを見て、必要があれば援助します。

 

 「たてわり」によるクラスには、常に動機づけとなる見本がいて、新しい挑戦の機会に満ちています。子ども同士で刺激し合い教え合い、自分の力で育ちながら必要な社会性を獲得していくのです。個々の子どもの最善のものを最大に引き出せる援助ができるようにと願っています。

 

 

 

「新年を迎えて」

 また新しい年が始まりました。この一年がどんな年になればよいか、子育てに奮闘中の人には迷いはありません。子どもに備えられた自分で育つ力を、最大限に伸ばすために適切な援助をすることに尽きるでしょう。園としても発達段階に応じて、自発的に集中して楽しめる活動ができるように更に励んでいきます。知的にも身体的にも、成長には個々のペースがありますのであせらずに見守っていきましょう。

 

 善悪については、機会あるごとにしっかりと一貫した基準で教えることは親の責任です。現代の社会的な風潮としては何でも自由のようなところがありますが、自分の自由のために他の人の自由を妨げてはならないはずです。他人に迷惑をかけないこと、人を大切にすることは、十分に教える必要があります。その際に気を付けることは、ストレスになるような指示や命令にならないようにすることです。

 

 子育ての原則は単純で、難しいことではありません。日常の生活で子育てを楽しく感じているようであれば、親としての道からそう外れてはいないでしょう。その点だけ自己点検をしてみてください。

 

 子どもは親に似るものです。もし、自分に似ないで欲しいところがあるのなら、自分を変える努力を心がけましょう。努力は要りますが、自分を変えることはできるはずです。直接子どもに働きかけて変えようとしても、かえって子どもをダメにする場合が少なくないのです。子どもは親の思い通りにはならないものです。

 

 子どもが聞き分けがないとき、不機嫌なときにその原因は何か、何を求めているのか、落ち着いて考えると、子どもの気持ちがわかることがあります。子どもは、わかってもらえたと感じると安心し、落ち着くものです。空腹や疲労、体調不良もあります。お子さんによっては、個性としてこだわりの強い、いわゆる手のかかるお子さんもいますので、保育士と一緒に最善の対応を考えていきましょう。

 

 人として生きる力の基礎が育つ重要な乳幼児期(06歳)を、悔いのないものにしていきましょう。

「育つのを助ける保育」

人では、男子67に対して女子87となっています。一方お世話に当たる園の職員は54人で男はたった二人だけです。みんなの家である「わかくさ家」の家族は、圧倒的に女性優位の家族です。乳幼児期の子どもに一番必要なのは、優しくて強い母性愛です。そのための人材には不足はありません。これからも子どもにとって最善の保育を求め続けていきたいと思っています。目指すのは、親御さんと協働してお子さんの長所を見つけて最善の発達を援助することです。

 

 0歳から6歳までの乳幼児期は心身の基礎が形成される一生で最も大切な時期です。大脳は90%も出来上がります。子どもに備えられた個性や能力は宝物です。どんな宝物になるか楽しみに子育てに励みましょう。日常の生活や遊びの傾向をとらえて、その長所を見つけ出してあげることに努めましょう。そして見守りながら発達を促す援助をしてあげたいのです。親や保育者が目標を立てて導き、育てようとしても、その子の特性と調和していなければ、思い通りに育つものではありません。それぞれの子にはその子独特の賜物が与えられています。その賜物に合った援助をすれば伸ばすことができるのです。しかし、折角の賜物も破壊することは簡単です。良かれと思うことでも妨げとなることがあるので注意が要ります。

 

 心身の発達の順序は誰でも決まっています。人間共通のプログラムが遺伝子に書き込まれているからです。しかし、その進み方の速度は、個人差があります。園が大事にしている異年齢児のクラス編成、自主的に活動できる個別保育は集団の生活の中にあっても一人ひとりの発達の速度の違いを受容できるものなのです。人的環境(異年齢、様々な個性、が混在する)と物的環境(多様な教具教材、遊具を揃える)を整えることで子どもの自発的な行動が促されます。自発的な活動は集中度や達成感が高くなります。幼児クラスでの当番活動は、この保育の成果といえるかもしれません。周囲からの讃辞や感謝によって、自己肯定感や貢献感が育まれているようです。

 

 大人が育てるのではなく、主人公である子どもが自力で育つのを助けるのだという考え方が大切なのです。

「新制度と保育の質」

 私は今までのこの国の保育制度は、よくできているといってもよいのではないかと思っていました。ところが、急速な都市化、人口の移動や02歳児の入所増加などから、地域によっては、待機児が異常に増加し、社会問題になりました。一方、幼稚園では定員割れの園が多いということから、「幼保」を一体化すれば一気に解決するのではないかという考え方が強くなり、新制度の構築が大急ぎで進められました。しかし、思ったような成果はないようです。心配なのは園庭もない園が認可されたり、経営主体に株式会社まで認めていることです。「日本死ね」などといわれる前から、財政難にもかかわらず、保育は最優先政策とされていました。しかし、何事によらず、政府のやることは後追いになるものです。社会の変化が速すぎるのです。需要に供給を合わせるのは国の責任ですが、質が落ちてはならないことはいうまでもありません。子育てという大事業は失敗は許されません。園としては、保育に誇りを持ち、意欲をもってこれからも、最善の努力をしていくつもりです。制度がどうなろうとも、今までの姿勢でより良い保育を求め続けます。

 

 今、年長児たちはお泊り保育に向かって着々と準備を進めています。カレーに使われる野菜は、春から畑で育てられています。食材に親しむことは1、2歳児のころから日常的に「おしごと」として、玉ねぎの皮むきやゴマすりなど、親しんでいますから、料理は園児たちの得意とするものの一つといえるでしょう。その他の「おしごと」も家庭の実際の家事である掃除や洗濯などにつながる活動も色々あります。保育参加の際はそんな視点からも見てください。年齢ごとに発達の様子がわかり興味が増して見えると思います。そして、家でもできることをやらせてください。自分もやりたいという意欲のある小さいうちから、できることを家での「おしごと」として割り当ててください。「おしごと」の内容は成長に合わせて重みを加えましょう。お手伝いの習慣は生きる力を養い、学業の面でも柔軟な応用力として伸びるように思います。

 

 卒園までに身に着けて欲しいのは、学校という舞台での「生きる力」です。その1が身体的な力である体力と運動機能。その2が年齢に合った知力。その3は色々な人と交われる社会性の獲得です。自発的な「おしごと」など園の生活を通して、どれほどこの生きる力が身に着くかが保育の質として評価されるところです。

 

 

 

 親の愛は「かわいいと思う心」です。改めて考えるまでもなく、子どもを授かったということは大自然からの最大の恵みです。「かわいさ」が親心(母性愛)を起動します。点火された愛の炎のぬくもりが、乳児期の子に大切な「安心」となります。愛の炎に揺らぎや波があると、子どもは不安を感じます。

 

 これからも保護者の皆さんとともに心を合わせて、揺るがぬ炎で子どもを見守っていきましょう。

 

 

「わかくさ式たてわり保育の特色」

早いもので、もう10月です。4月には歩ける子が少なかったすみれ組も、だいぶ歩けるようになり、すでに1・2歳組に3人が進級しました。並行して、1・2歳組から幼児組へも6人が進級しました。梅桃桜組はそれぞれ5人を目途に、3歳になった2歳児(ピンクバッチ)を受け入れます。4月は各組30人でスタートしますが、3月には35人になります。

 

 幼児のたてわり保育は、ようやく多くの園に普及してきましたが、0・1・2歳児のたてわり保育を行なっている園はまだ多くはないようです。

 

 わかくさ式の、年度の途中でも個別に進級するシステムの長所はいろいろありますが、最もよい点は子どもに優しいことです。0歳で入園し6年在園しても、その間に2回しかクラスが変わりません。進級の際は、一人ひとり無理のないように新入園児と同じ様な慣らし保育をしながらていねいに移行ができます。子どもにとって大きなストレスとなる環境の変化(保育室、友だち、担任等)への不安は最小にとどめることができるのです。

 

 すみれから、ゆり・きく・れんげへの進級の目安は情緒の安定、歩行の確立とスプーンを使って一人で食事ができることです。2歳児の進級の課題は排泄と着脱の自立、言葉で意思疎通ができること、そして年上の幼児と交わる意欲が出てくることです。

 

 乳幼児期の、特に低年齢児は日に日に成長し、1年の間には身体の動きも知的な活動も別人のようになります。その成長に見合った活動が保障される保育環境に常にいられるようになっているのです。

 

 たてわり保育自体のメリットは、調和のとれた発達に必要な自発的な活動を促す「動機」の宝庫であることです。異年齢の集団の中で多様な体験ができます。年下の子は年上の子を目標として成長し、年上の子は年下の子の手本となることの喜びやお世話ができることで、貢献感を感じることができます。子どもたちは自ら刺激し合い自力で育っていきます。年齢に幅のあるクラスは、多様な個性の違いや同年齢の中の発達のバラつきも容易に受容し理解しあうことができるようになります。保育者の指導は慎重にし、援助を必要とする子に個々に対応をして、適切な援助者であるように努めています。育てるのではなく、育つのを助ける保育がたてわり保育なのです。

 

 

「平和を願う」

人類史上初の原爆が広島に投下されたのが昭和20年(1945年)8月6日。その三日後の9日には第2弾が長崎に落とされ、15日に第二次世界大戦は終わりました。

 

 科学技術の進歩は機械文明の発達を促し、人々の生活を快適で豊かなものにしました。一方では兵器としての利用にも力が入れられ、大量殺戮が可能な武器も造られました。1914年にヨーロッパの片田舎で始まった小さな紛争が、世界中を巻き込む大戦になりました。人類史上初の世界規模のこの戦争は第一次世界大戦と呼ばれていますが、当時の識者たちは、これほど大規模になるとは誰も予想していなかったそうです。というのは国際的な政治や経済などの社会背景として、大戦争にまでしなければならないほどの事情はなかったというのです。では原因はどこにあったのでしょうか。まさか様々な兵器の威力を試してみたかったのではないと思います。原因については諸説あるでしょうが、結果として莫大な損害と数千万の尊い人命を失い、癒しがたい悲しみと憎しみを生み出しました。人々は戦争にはこりごりしたはずですが、戦後処理の不手際もあって、ナチの台頭を促し、第二次大戦へとつながってしまいました。

 

 原子爆弾によって終了した第二次世界大戦は、第一次大戦よりさらに大きな犠牲者と膨大な物的な損害をもたらし、人々の心に深い傷跡を残しました。その後71年、世界規模の大戦は起こっていません。原爆は地球を破壊し、人類を滅亡させるという恐怖感を人々の心に刻み込んだからでした。ところがその恐ろしさを経験した生存者も少なくなりました。今、世界各地で様々な紛争が絶えません。世界の情勢は1914年のころよりもよほど戦争の危険を感じます。

 

 戦争か平和かの鍵は国家が握っています。そして、国を動かすのは指導者です。その指導者を動かすのは国民の世論の力です。突き詰めれば私たち一人ひとりの心を平和の願いで満たすことが必要なのかもしれません。まず、それぞれの家族から争いを無くしましょう。家の中の平和から世界の平和をめざしましょう。

 

8月なので年に一度はと平和を考えました。家の平和は、ぜひ今日一日を大事にしながら、毎日積み重ねて願うことに努めましょう。

 

「活動しながら育つ」

毎年、暑い夏をさらに暑くするのが甲子園の高校野球大会です。今年はそれにオリンピックが加わり、私は一層熱が上がりました。ふだんはあまりスポーツに関心がなくても、今年はテレビでリオに熱い声援を送った人も多くいたのではないでしょうか。

 

 わかくさ保育園では早くから、乳幼児にはテレビは有害だと気付き、ノーテレビのキャンペーンを行ってきました。しかし、ビデオやDS、スマホの普及など、各種メディアはますます深く子どもたちの生活のなかに浸透してきています。その内容がどれほど良いことを教えているにせよ、体全体をバランスよく用いた自発的な遊びが妨げられることが問題なのです。家に引きこもっていた子をポケモンGOで外に出させたとしても、片手はスマホを持ち、視線はその画面に拘束されています。体を使った活動とはいえません。乳幼児期は、心身の根幹となる基礎的な部分が急速に発達する人生の最重要期です。それぞれの部分は運動機能も感覚機能も、またそれらをコントロールする大脳も、体を使い、手先や五感を刺激することで育ち、発達します。子どもは自発的な遊びで育つのです。遊びは成長に深くかかわる重要な活動です。ぜひ、偏りや過不足のないように気を付けましょう。

 

 近頃不足しがちな一例に、ハイハイがあります。家屋の事情もありますが、わずかな期間ですから工夫して、家の中にできるだけ広いスペースを確保し、ハイハイをさせてあげましょう。つかまり立ちはゆっくりでいいのです。

 

 また、狭い場所でも、親子でボールを転がしながらやりとりをするなど、ちょっとした工夫で体全体を使う遊びはいくらでもあります。体を動かす楽しさを知れば、将来スポーツ好きになるでしょう。

 

 望ましい自発的な活動は、それを誘発する環境を工夫して用意することによって可能になります。成長発達に役立つ活動を見つけると、子どもはそれに集中し、没頭して取り組みます。そしてその課題を消化し吸収したとき、満足し、発達課題をクリアするのです。色々な経験をしながら一歩一歩育つのです。大人が育てるのではなく、子どもが自力で育つのです。メディアに負けない魅力的な環境を整えるのは、難しいことです。ゲームやスマホは安易に与えず、なるべく子どもから遠ざけることが賢明でしょう。

1 / 212
Top